セクション 5(あゆみ①)
これまでの歩み
昭和30年6月19日生まれ (野口英世の没後27年(野口英世は昭和3年5月21日逝去))
保育所のころ~小学校にかけては運動能力が低く、
県ランキング4位、高3のときにはハンドボールで
県ベスト4となりました。“4位”が好きなのですかネ(笑)
6歳のとき(昭和37年5月6日・日曜日)野口英世の伝記を読み、読み終わった瞬間に背中から
1歳半ごろ 右下腿(脛骨・腓骨)を骨折。医師からは、普通に歩いたり運動したりできるようにはならないと言われる。
(野口英世は1歳半ごろ、いろりに落ちて左手を大やけど)
友だちからは“運動オンチ”とからかわれたりして、
常に劣等感に苛(さいな)まれてきました。しかし、
ひたすら努力して、中3のときには陸上競技(400m)で常に劣等感に苛(さいな)まれてきました。しかし、
県ランキング4位、高3のときにはハンドボールで
県ベスト4となりました。“4位”が好きなのですかネ(笑)
6歳のとき(昭和37年5月6日・日曜日)野口英世の伝記を読み、読み終わった瞬間に背中から
体中が寒くなったか熱くなったか、どちらだったのかよくわからない(おそらく両方だった
ように思う)が、「僕もお医者さんになるんだ!」と決心した。
。。。この瞬間...野口...再臨す 。。。
※
野口英世の伝記をなぜ読んだのかというイキサツであるが、
野口英世の伝記をなぜ読んだのかというイキサツであるが、
昭和37年3月に、小学校入学予定ということで小学館の「小学一年生」
4月号が無料配布された。続けて取ってほしいと親に希望し4月初旬に
5月号を買ってもらった。5月初旬に6月号が出たので買ってほしいと
言ったところ、母親は「マンガだけ読んで文章のところを読まないの
では買ってあげられない。文章のところもちゃんと読んだら買ってあ
げる」ということだった。・・・シブシブ文章のところを読んだ。それ
が“野口英世物語”みたいな感じのもの(いわゆる伝記)であった。
挿絵がメインで文字はあまり多くない、全体で7(~8?)ページ
くらいのもので、今考えてみても一体どの程度までのレベルのことが
書かれてあったか、なかったか・・・?などと思ってしまうが(小学
館
ように思う)が、「僕もお医者さんになるんだ!」と決心した。
。。。この瞬間...野口...再臨す 。。。
※
昭和37年3月に、小学校入学予定ということで小学館の「小学一年生」
4月号が無料配布された。続けて取ってほしいと親に希望し4月初旬に
5月号を買ってもらった。5月初旬に6月号が出たので買ってほしいと
言ったところ、母親は「マンガだけ読んで文章のところを読まないの
では買ってあげられない。文章のところもちゃんと読んだら買ってあ
げる」ということだった。・・・シブシブ文章のところを読んだ。それ
が“野口英世物語”みたいな感じのもの(いわゆる伝記)であった。
挿絵がメインで文字はあまり多くない、全体で7(~8?)ページ
くらいのもので、今考えてみても一体どの程度までのレベルのことが
書かれてあったか、なかったか・・・?などと思ってしまうが(小学
館