セクション 16(素顔の野口、千円札お礼)
新聞・雑誌などの記事 の続き
私の大好きな
素顔の野口、ありのままの野口、そしてその信条
気さくに立ち話(カナダの医学者バンティングと) ヘビから毒を取るのを見せる
※ 野口は身長153cmと、実は小柄であった。
西原の身長は35~40歳頃の健康診断にて170.6cmがMaxであったが、
その後は徐々に縮んでしまい、現在は168cmぐらいになっているかと
思う・・・。 (測る気にもならない・・・)
↑ エクアドルでワニ狩り
ここでホッとひといき
私の大好きな
素顔の野口、ありのままの野口、そしてその信条
気さくに立ち話(カナダの医学者バンティングと) ヘビから毒を取るのを見せる
※ 野口は身長153cmと、実は小柄であった。
西原の身長は35~40歳頃の健康診断にて170.6cmがMaxであったが、
その後は徐々に縮んでしまい、現在は168cmぐらいになっているかと
思う・・・。 (測る気にもならない・・・)
↑ エクアドルでワニ狩り
(左:ふくしま教育情報データベース、右:内閣府・野口英世の生涯)
↑ 実験をする野口の手(サルのトラコーマの検査)
野口の直筆色紙「忍耐」
おわりに
1928(昭和3)年 5月21日 正午には、このように申し上げました。
以上、“私小説”のようなタッチも織り交ぜながら
※ 「東京へ出て来ないか ?!」・・・東京の出版社の社長さんから、強いお誘いをい
ただいたことがある。平成5年か6年のことであったように記憶している。
「うちのビルの1階のワンフロアーをタダで使わせてあげるよ。どうだ?」
・・・けっこう広くて大きなビルで、6階建てだったかなと思う。
このとき積極的に反応していたら、ひょっとして“有名人路線”を突っ走ったか
もしれない・・・いやいや、東京へ出ていれば成功してたかどうか・・・そ、
そりゃあ何とも分かりませんよねぇ・・・イケメンでもないしねぇ・・・汗
追伸)続いて、終活エンディングノート(リビング・ウイルの部)を書いていきたいと思います。
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↑ 実験をする野口の手(サルのトラコーマの検査)
(左側)野口英世生誕百年にあたる1976(昭和51)年にNHKが記念番組で公開したもの
(右側)野口英世記念館(福島県猪苗代町)に展示されている写真野口の直筆色紙「忍耐」
おわりに
2004(平成16)年から長きにわたり、
お札(千円紙幣)の肖像を務めさせて頂き、誠に有難うございました。今だから申せますが、正直なところ小生、紙幣の肖像として相応しい人物であるとは、自分自身思っておりませんでした。2024(令和6)年からは北里柴三郎先生が千円紙幣の肖像になられると伺っております。北里先生は、小生の恩師でもありますが、細菌学における世界トップレベルの業績をいくつも上げられ、多くの若い研究者たちの指導・育成にも尽力され、我が国近代科学の創成期を代表する研究者であります。ついに“真打ち”の登場ということになったのだと実感し、喜んでおるところでございます。
お札(千円紙幣)の肖像を務めさせて頂き、誠に有難うございました。今だから申せますが、正直なところ小生、紙幣の肖像として相応しい人物であるとは、自分自身思っておりませんでした。2024(令和6)年からは北里柴三郎先生が千円紙幣の肖像になられると伺っております。北里先生は、小生の恩師でもありますが、細菌学における世界トップレベルの業績をいくつも上げられ、多くの若い研究者たちの指導・育成にも尽力され、我が国近代科学の創成期を代表する研究者であります。ついに“真打ち”の登場ということになったのだと実感し、喜んでおるところでございます。
……いずれにいたしましても、長い間、本当に有難うございました。
2019(平成31)年 4月9日
Funny Noguchi・・・ I don’t understand・・・
こっけいな 野口 ・・・ わたしには、わからない ・・・
1928(昭和3)年 5月21日 正午には、このように申し上げました。
以上、“私小説”のようなタッチも織り交ぜながら
(しまいにゃあ、自分がいったい誰なのかさえも分からなくなってしまっている・・・?!)
終活エンディングノート(生前整理&遺品整理の部)
を書いてみました。
「人生をふり返って一言」 ・・・ “辞世の句”
「いろいろと お騒がせをいたしました!
でも、本当は
もうちょっと有名になる路線を選びたかったですね…
ただし、イケメンに生まれてきていたら…の話
だけどネ・・・」 にしはら
※ 「東京へ出て来ないか ?!」・・・東京の出版社の社長さんから、強いお誘いをい
ただいたことがある。平成5年か6年のことであったように記憶している。
「うちのビルの1階のワンフロアーをタダで使わせてあげるよ。どうだ?」
・・・けっこう広くて大きなビルで、6階建てだったかなと思う。
このとき積極的に反応していたら、ひょっとして“有名人路線”を突っ走ったか
もしれない・・・いやいや、東京へ出ていれば成功してたかどうか・・・そ、
そりゃあ何とも分かりませんよねぇ・・・イケメンでもないしねぇ・・・汗
追伸)続いて、終活エンディングノート(リビング・ウイルの部)を書いていきたいと思います。
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